LOGINカイルは消えた魔法陣の中心を凝視し、モヤが完全に消えるまで立ち尽くしていた。
術は成功した。確信がある。“神子”である自分があれだけ慎重に慎重を重ねておこなったのだ、失敗するはずがない。
——なのに、だ。
とても小さな、簡単に抱き上げることの出来る“彼女”を呼んだはずなのに、予定よりも随分と大きな塊が部屋の中央に転がっている様に見える。どう見ても、目を擦ったり、瞬きをしてみても、身体を丸めて倒れる物体は気を失った“人間”だった。
何度瞼を閉じて頭を振り、塊を見返してもその事実は変わらない。
「……まずは、確認しよう」
カイルは呟き、塊の側へ行って膝をつき、そして床に倒れている人間を仰向けにして彼が顔を覗き込んだ。低めの鼻筋に小さく薄い唇。シンプルだが、文句無く可愛い顔を前にして、カイルの口元が少し緩んだ。
身体を軽く揺すっても、意識が戻る気配は無い。
腰までの長いストレートの黒髪が青白い頰にかかっている。その髪をカイルは、彼女の頰を撫でながら除けると、スッと目を細めた。
心がざわつくのを感じる。
少しの間すらも離れ難く、逢いたくて仕方がなかった“彼女”への気持ちが、目の前の存在に向かっていく感覚がカイルを襲い、心臓が徐々に強く脈を打ち始める。
(……あぁ、この女性は『イレイラ』だ。間違いない)
そうは思ったが、何か確信が欲しかった。想い描いていた姿と大幅に違ったから、気持ちでは『呼び出した相手に相違無い』とはわかっていても、頭では理解出来なかった。
カイルが召喚しようとした『イレイラ』という存在は、“黒猫”だったからだ。
“黒猫”の“イレイラ”。少し前に寿命で亡くなったイレイラの生まれ変わりを探す為、カイルは先程召喚魔法を使ったのだった。
二度、三度と深呼吸をする。そしてカイルは目の前の女性に手を伸ばすと、着ている服を少し裂き、左胸側をゆっくりと捲った。ふっくらとした膨らみが目に入り、呼吸が少し乱れる。
「……っ。お、大きいな。背は低いのに……」
無意識のまま本音を呟き、カイルは唾を飲み込んだ。透ける様な白い肌が徐々に視界を占有していく。胸先の尖りまでもが見えそうになったギリギリの辺りで、服を除ける動作がピタっと止まった。
「……あった!イレイラだ、やっぱり。間違いない!」
大声で叫び、カイルは両の手をグッと握り、天を仰いで喜んだ。白く美しい肌の上に、探していた印がくっきりとあったからだ。
薔薇のような形をした小さな印。
カイルと猫のイレイラを永遠に繋ぐ約束の印が、確かにそこにはあったのだ。それを見付けて黙っていられるタイプの冷めた存在では無かった為、彼は破顔して喜んだ。踊り出す寸前という位まで。
猫だったはずのイレイラが何故この様な姿をしているのかカイルにはわからなかったが、一気にそんなことは些末な事の様に思えた。
「イレイラ、僕のイレイラ。あぁ、こんなに可愛くなって…… 抱き心地も良さそうだ」
うっとりとした顔でカイルがイレイラの頰を再び撫でる。陶器の様な肌が彼の指に吸い付き、否応無しに彼の胸を高鳴らせた。
(こんな硬い床に寝かせたままは駄目だな)
カイルがイレイラの膝裏へ腕を差し込み、背中に手を当てて抱き上げる。喜びに叫ぶ心臓の音を聴かせるかの様に彼女の頭を自身の胸元へ引き寄せると、カイルはイレイラの頭へそっとキスを落とした。
「お帰り、僕のイレイラ。次は……どのくらい一緒に居てくれる?」
ボソッと呟いたその言葉には、一度失った存在に対する悲痛な色が籠っていた。
「……?」 乱れる息のまま状況がわからず体がフリーズする。何が起きたのか理解出来ない。今のはなんだったのだろうか? ベッドの上で倒れるカイルの様子をそっと伺うと、どうやら彼は気絶しているみたいだった。「何……が、起きたの?」 乱された夜着を整えながら状況を振り返って考える。手から発せられた眩しい光と不思議な音。そして倒れるカイルの体。「もしかして、魔法ってやつ?今のも」 自分の髪を束で掴み、それを見る。「私の髪と目って、『黒』だよね」 生まれてからずっとそうだ。でも、当然の事を改めて再確認した。 残留思念で見た記憶の中で『濃い色は魔力の高い証だ』とカイルが言っていた。お猫様だって、魔法を使ってはいなかったが、潜在能力は高いと言われていた。——という事は、私もやろうと思えば、魔法を使えるって事なのかもしれない。「あれが、魔法か。——ははっ、すごい……の、かな?」 実感があまりなかったが、貞操の危機を回避出来た事は確かだ。あまりの快楽にすっかり流されかねない状況だったから、本当に助かった。これで会ったばかりじゃなかったら、こんなに好きだとアピールしてくる相手を拒否など出来ずに、最後までいたしていたと思う。本当に……助かった。 ショーツが濡れて気持ち悪かったので履き替えたかったのだが、新しい物が何処にあるのか探してもわからない。思い当たる場所は一箇所だけあったのだが、その部屋は鍵がかかっていて開かない。魔法を操って開ける事が出来れば良かったのだが、ダメ元で試してみても、残念ながら開ける事が出来なかった。 さっきは必死で運良く使えたというだけで、まだ自在に何かを出来る程、私では魔法を使えないみたいだ。もしかすると、スポーツを徐々に習得するみたいに、魔法というものは練習が必要なのかもしれない。 諦めて、ショーツだけ脱ぎ、バスタオルに包んで置いておく。夜着の中には何も穿いていないのがひどく心許なかったが、私は諦めて休む事にした。 さて、残りの問題は何処で寝るか、だ。 ソファーで寝ては休めそうにないが、ベッドにはさっきまで野獣と化していたカイルが倒れている。普段の自分だったら迷わずソファーを選ぶのだが、今は色々あったせいで酷く疲れていた。そうなると、やはりベッドで体を伸ばして休みたいという気持ちが捨てきれない。「……起きない、よね?」 そっ
(——『カイルは相当追い詰められている!』) 残留思念から意識が戻り、目前に迫る状況を再度理解した頭で、私はゲームのナレーションみたいにそう叫びそうになった。 これ、回避出来ないやつだ! いったい彼は、今この瞬間を何年待ちわびたんだろう? どのくらいお預けをくらっていたのだろうか? |黒猫時代《初めて》は『発情期じゃないから』と断られて行為が出来ず、今回は見た目で『まだ子供なのか』と思って諦めていたのに、『実は大人ですよ』とか言われたら、プツンと我慢の糸が切れるのは当然か。(だからって、受け入れられる話じゃ無いんだけどね!)「イレイラ……ねぇ、僕を受け入れて?触れさせて?いい加減にもう、君を抱きたいんだ」 甘い色のある声音で囁く声が耳に近い。意識が飛んでいたうちに距離はほぼ無くなっていて、ヘッドボードを使って壁ドンされているみたいになっていた。 カイルの吐息でキュッのお腹の中が疼く感じがして頰が熱を持つ。ヤバイ、体が勝手に受け入れ態勢に入っている気がする。そんな中、耳を甘噛みされ、体が快楽に震えた。「気持ちいい?こんなに震えて、可愛いねイレイラ」 カイルはクスクスと笑い、私の耳を撫でる。頰をぺろっと舐められ、小さなキスをそこに何度もしてきた。「好きだよ、どんな姿だって君が愛おしい……」 指で顎を軽く持ち上げられ、カイルの口が近づく。このままでは私のファーストキスが奪われてしまうと思うのに、近過ぎる距離に抵抗が出来ない。「あ、ま……——」 『待って!』の言葉がカイルの口の中へ消えていった。完全に私達の唇は一つとなり、彼の少しザラついた舌が私の中へ入ってくる。ニュルッと舌を他者に絡め取られる感じに、腰のあたりがざわつく。歯茎を丁寧に舐め、“人間”よりも長い舌が上顎まで届いてそこを愛撫しだした。 その行為のせいで思考が停止し、もっとと強請るようにカイルの白いシャツにしがみついてしまう。そんな私にカイルは、ご褒美をくれるみたいに全身を撫でてきた。 マッサージするみたいな撫で方じゃない。相手に快楽を感じさせるための愛撫をされていると、ハッキリわかるいやらしさがその手にはある。何処を撫でれば私がどう反応するのか、調べるみたいに上から下へと全身を丁寧に丹念に。年季の入った手の動きに私の体はアッサリ陥落してしまい、ビクビクと震える事で彼に自分の弱い
『——ねぇ、お願い。イレイラ、コレ飲んで?』 ベッドの上で一人と一匹。カイルは“私”の前でお行儀よく正座をして座っている。その手にはガラス製の小さな瓶があって、キラキラと光って不思議な色をしていた。ベッドの側にあるスタンドライトの魔法光が発する灯りが瓶にあたると、それは青にも黄色にも見える。(何でだろう?——というか、コレは何だろうか?) 首を傾げていると、カイルが少し視線を逸らした。頰が赤い。まさか風邪でもひいたのだろうか?『きょ、今日は僕達の初夜だから……その、ね?“番”だったらする事が、あるよね?』 カイルの声がうわずっていて少し震えている。やっぱり風邪なんじゃないのだろうか?よくわからない事を言っていないでサッサと寝るべきだ。風邪はひき始めが肝心だというし。 “私”は枕の方へ進み、ポフポフと前足で叩いてみた。『さぁ寝ましょう』と言うつもりで。『え?あの、今日はこのまま寝るんじゃ無くてね?あのね、イレイラ、コレ飲んで?』 クイッと目の前に先程の小瓶を差し出される。さっきから見せてくるコレは何なんだろうか?パクパク口を動かして、“私”はカイルに説明を求めた。なのに、いつもならちゃんと直ぐに察して答えをくれるカイルが、今日は言葉を詰まらせて困った顔をする。 これは、“私”には言いにくいような物を飲ませようとしているなと直感的にわかった。その事に少しイラッとして、“私”はカイルの膝をペシペシと叩いた。『ゴ、ゴメン!だって、言葉にして言ったら、まるで“今のイレイラ”を否定しているみたいな気がして。僕はちゃんと君の、ありのままの姿が好きなのに!』 説明になっていない。“私”は瓶の中身が何かを知りたいのに。 会話での意思疎通が出来ないのは、やっぱり時々不便だと思う。カイルが“私”を召喚する時に、投げやりに描いた魔法陣の術式の弊害かもとも思うのだが、普段は困らないのでそのままに過ごしていたが……やはり、どうにかしてもらうべきだったろうかと少し後悔した。『えっと、あのね、実はこれ……人の姿に一定時間だけ変身出来る薬なんだ。その……お互いにこのままじゃ、で、できないでしょ?えっと、あの……体格の、違いで。その……い、挿れられ、ないよね?君に』(人に?“私”が?“私”はこのままの姿が好きなのに。しかも、いれる?何をだろうか?)『僕が猫の姿になってもい
意識が戻った後も私は浴槽の中でしばらく動けず、呆然としていた。まさか、自分の胸にある“痣”からも“お猫様”の“残留思念”を見てしまうとは思ってもいなかったからだ。 これは私が生まれた時にはもうあったものだ。そんなものに“記憶”が残っていたとあってはもう、自分の前世が『黒猫のイレイラ』である事を認め無い訳にはいかないなと思った。(でも、今までにだって何度も触れる機会はあったのに、それまでは一度も、何も起きなかったのは何で?) 何かきっかけが—— あ、『異世界召喚』か。 『召喚』され、『この世界に連れて来られた』のと『指輪』に『痣』が重なったのがトリガーになって、“残留思念”を読み取れたに違いない。(きっとそうだ) その事に気が付くと、今までの私の人生すら、決まった流れだったように思えてきた。 両親との早い別れ。 一人っ子である事。 親戚や親友のいない希薄な人間関係。 全て、いつか此処に戻るために用意されたみたいだ。 戻してもらえる事を願っていたみたいな……。 コンコンッ。ドアをノックする音で、私は思考の波から引き戻された。「イレイラ?大丈夫?」「あ……。——えっと、大丈夫ですよ?」 ドア越しのカイルに何を心配されたのか、一瞬わからなかった。 お湯がぬるい。もう随分長い事湯船に浸かったままだったみたいだ。いくら待っても出て来ない私をカイルは心配したのか。「お湯、温め直す?それともあがる?」「えっと、あがります」「そう、わかった」 湯船からあがり、用意してくれていたバスタオルで体を拭く。夜着や下着、化粧品の類が全て用意してあったのでホッとした。こういったところも『元の世界』と類似しているというのは本当に有り難い。 眠る準備を整え、髪の毛をタオルで拭きながら居間に移動すると、窓際に置かれたソファーでカイルがくつろいでいるのが見えた。どうやら本を読んで時間を潰していたみたいだ。「スッキリ出来た?」「はい、おかげさまで」「不自由な事があったら遠慮なく言ってね、直ぐに用意してもらうから」「大丈夫ですよ。——あ、でも、髪を乾かすのが大変ですね。何かこう、簡単に乾かせるような、便利な物とかあったりします?」 元の世界では風呂上がりの必須アイテムであった『ドライヤー』なんて単語を言ったって通じるはずがなく、身振り手振りで何をしたい
『さて、これから始めるけど祝詞の類は省かせてもらうよ。イレイラが飽きてしまうからね』 カイルは参列者に向かい同意を求めた。『まぁ、カイル達がそれでもいいのなら私達は構いませんよ。——ね?ウィル』 オオカミの獣耳を持つハクと呼ばれる神子が隣に座る男性に問い掛ける。『何だ、つまんねぇな。誓いのキスを冷やかしてやろうと思ってたのに』と、ライオンの獣耳を持つ神子のウィルが不貞腐れた顔でボヤいた。『冷やかしはいけませんよ。カイルが拗ねて、追い出されてしまいますよ?』 クスクスと笑い合うハクとウィルの二人はとても楽しそうだ。『お二人共お静かに願います。……カイル様、儀式を』 セナが二人を宥め、カイルには続きを勧める。そんな彼に対してカイルは首肯して応えた。『……それでは始める。イレイラもいいよね。もう後戻りはさせないよ』 有無を言わせない言葉に、“私”は頷く事しか出来なかった。 “私”が土壇場で逃げ出さない事に安堵したのかカイルが微笑む。その顔はどこまでも澄んでいて、とても穏やかだ。 一呼吸置く。すると、周囲から一気に音が消えた。カイルがカッと目を見開いた途端、彼の体から魔力が光を帯びて溢れ出し、綺麗な黒髪がフワッと浮く。 “私”の体を、カイルが両腕を伸ばし、高く掲げると、どこからともなくキラキラと輝く光が現れ、私の体をも包み出す。 彼の開いた口からは聴き取れない不思議な音が流れ出し、音楽を奏でているみたいだったので、カイルは古代魔法を発動させている事が“私”でもわかった。(これが、『結婚式』というものなんだろうか?) 想像していたものと全然違って不安が加速する。でも体が動かない。まるで見えない鎖で縛られていくみたいだ。 筆記具で描いてもいないのに、透明で、赤い色味をした魔法陣が祭壇から出現した。カイルと同じくらい大きな魔法陣が、彼の呪文に呼応して光を増す。 その魔法陣から二つの光が飛び出し、私達の方に近づいて来た。ゆっくりと、でも確実に。その光を目にした瞬間、カイルの口元が弧を描くように醜く歪んで見えた。『あぁ、イレイラ……僕のイレイラ。これで君は、永遠に僕のモノだ……』 彼の呟く声に、底の無い深淵でも覗き込んでしまった時のような恐怖を感じる。でも同時に、ゾクゾクした鈍い快楽も何故か秘めていて、自分でも驚いた。 飛び出してきた二つの光
『——嬉しいよイレイラ。やっと僕を受け入れてくれるんだね』 満面の笑みでカイルが“私”に微笑んでいる。黒くて小さな私の両手を彼はギュッと握り、地味に肉球を指でプニプニしつつ、“私”の額にそっとキスをしてくれた。 カイルは普段と違って真っ白な礼服を着込んでいる。黒い髪は後ろに流す様にセットされていて、端整な顔がよく見えた。両耳の上から生える羊のような角には七色に光る小さな宝石をシルバーチェーンに散りばめた装飾品で飾り付けされていて、シンプルなリースみたいでとてもオシャレだ。 黒曜石みたいに綺麗な瞳は熱を帯びながらしっかり私を見つめている。その事が何よりも嬉しい。『イレイラにはこれを着けてもらうね。外したらダメだよ?』 そう言うカイルの手には、とても小さなティアラがあった。多くのダイヤをあしらったそれは、小さくても存在感があり、女性の夢が詰まったしつらえだ。そのティアラには白いベールが着いている。光の加減で多種多様な光を放って見えるそれは、花嫁が頭から被る物のように見えた。(あぁ、まさか“私”相手でも、こんな物まで用意してくれたのか……) そう思うと涙が出そうになった。 スッと頭をカイルに差し出し、着けてくれとアピールする。言葉は通じなくても彼ならきっとわかってくれる。 予想通りにカイルは私の頭にティアラを乗せて、ベールで顔を軽く隠してくれた。魔法をかけて、動いたくらいでは落ちないオマケ付きで。『あぁ……。とても綺麗だよ、イレイラ。もっと色々言ってあげたいのに……今の僕は幸せ過ぎて、言葉が出ないや』 顔を真っ赤にしながらカイルが言葉を詰まらせる。困った様な顔をしているが、幸福感で溢れてくれている事が伝わってきた。 お礼を言う代わりにカイルの手に頬擦りをする。すると彼は“私”を縦に抱き、立ち上がった。『さぁ、式場まで行こうか』 その言葉に“私”は『ニャァ』と鳴いて答えた。 白に染まる長い廊下をカイルが“私”を抱えたまま歩いて行く。そして彼は、神殿内の最奥にある、各種儀式がある時にしか使用しない祈りの部屋までやって来た。 “私”が入るのは初めての場所だ。 こんな場所があったのかと周囲をキョロキョロ見渡していると、カイルがクスッと笑った。『好奇心から走り回ったりとかはしないでね。今日はいい子で大人しくしてくれないと、このまま此処で君の事を